王滝村のあらまし
王滝村は、長野県西部を占める木曽郡の中でもその最西端にあり、御嶽山の南山麓に位置します。東半分を三岳村・上松町・大桑村、西半分を岐阜県に接し、広さは、東西27.2km、南北21.7km、周囲79.5km、総面積は31,086haと、長野県内で5番目の広さを有しますが、その約96%は森林面積で占められています。
村名「王滝」が、江戸時代初期の「おのたけ」、同中期の「おんたけ」に由来するように、村は歴史的にも、地理的にも御嶽山と深い関係にあり、江戸時代には霊山信仰の行者・普寛(ふかん)によって王滝口が一般民衆に開放されたのをきっかけに、御嶽信仰は全国に広まりました。御嶽山を眼前に仰ぐ村の中心地の標高は920〜940mと高く、年間の平均気温は9.9℃と冷涼で、また年間平均降雨量はおよそ2,400mmに達し、長野県でも多雨地帯にあたります。冷涼多雨な気候は、木曽ヒノキに代表される良質木材を産出する豊かな森林を育み、江戸時代から規制と保護政策によって守られ、森林面積の87%が国有林として、原生の森を今に伝えています。
村名「王滝」が、江戸時代初期の「おのたけ」、同中期の「おんたけ」に由来するように、村は歴史的にも、地理的にも御嶽山と深い関係にあり、江戸時代には霊山信仰の行者・普寛(ふかん)によって王滝口が一般民衆に開放されたのをきっかけに、御嶽信仰は全国に広まりました。御嶽山を眼前に仰ぐ村の中心地の標高は920〜940mと高く、年間の平均気温は9.9℃と冷涼で、また年間平均降雨量はおよそ2,400mmに達し、長野県でも多雨地帯にあたります。冷涼多雨な気候は、木曽ヒノキに代表される良質木材を産出する豊かな森林を育み、江戸時代から規制と保護政策によって守られ、森林面積の87%が国有林として、原生の森を今に伝えています。
王滝村の村名の由来

村名「王滝」の文字が歴史の上に現れるのは、南北朝時代の暦応元年(1338)で、木曽家村が飛騨勢に備えて、今の王滝村(崩越)に砦を築いたときの記録(岐蘇古今沿革誌)が最初です。
ただし、この記録は後の時代に書かれたものですから、その当時から「王滝」の文字を使っていたかどうか、また、それをどのように呼んでいたのかは確認できません。
伝えられている由来には、「後白川法王説」「聖徳太子誌」「三浦氏説」などがあるが、一般的に昔からいわれてきたが、「王滝川の本流にかかる“大滝にちなんで”」その名をとったという話です。
“大滝”にはこんな話もあります。「その昔川狩りにきた中乗りたちが、この滝の上流から材木を落とすと、深くもぐって一服してしばらくたってから浮かんできた」といいます。それほどその滝壺は深く水量豊かで、堂々たる大滝であったといわれました。その轟々と水しぶきをあげる、巨大な滝の景観を目の当たりにした当時の人々が、これに「王滝」と名付けたとしても、不思議ではありません。
(村名「王滝」考から)



